2013年6月9日日曜日
中井神父巻頭言:海峡からの風21号
私はあなたたちからの許しを乞う
ボストンに来て5ヶ月が経とうとしている。この短い期間の中でも、アメリカの懐の深さと闇の部分と両方を垣間見ることができたような気がする。ボストンマラソン爆破事件について、印象に残ったある年配女性教授の言葉を分かち合いたい。その授業は外国から勉学に来ている学生を対象にしたもので、その先生はボストン爆破事件についてどのようなことを感じたのか私たちに尋ねた。思うことはそれぞれにあったのだが、口に出すのもはばかられ、私たちは「オバマ大統領のスピーチは感動的だった」とか表面的なところでかわそうとした。しかし、その先生は気づいたのだろう。このように言われた。「私はあなたたちが感じていることがわかるような気がする。こう言うのはおかしいかもしれないけれど、私はあなたたちに許しを乞いたい。この国は許されることを必要としている、私はそう思います•••。」
この先生の正直で真摯な告白に私は感動を覚えた。そして、私自身もそうあらなければならないと強く感じた。ボストンの爆破事件はこの世界の負の連鎖、暴力の連鎖を象徴している事件だったように思う。傷を負った地域に生まれ、傷を負った家庭環境に育った兄弟が起こしてしまった事件。その行動に対して憎しみや怒りで返してはならない。この暴力の連鎖を断ち切るために、私たちはあの教授のように許しを乞い、和解を求めることが必要なのではないか。私はこちらに来てからずっと労働教育センターの使命は何か、私自身の使命は何であるのかを考え続けている。そして、その答えはここにあるように思う。
労働教育センターで活動させてもらった二年間は日本の過去の負の歴史に向き合う時間でもあった。意識して見てみなければ目には見えない歴史が下関にある。
センターに集う人たちが私の目を隠された人々の痛みに開かせてくれた。広島平和記念公園の韓国人被爆者慰霊碑に気持ちが自然に向かったのもそれ故だろう。なぜ二万人もの韓国人が異国の地で被爆せねばならなかったのか。なぜ彼らの慰霊碑が長い間記念公園の敷地外に人知れず立っていなければならなかったのか。
80年代に入ってようやく公園内に移設されてもなおペンキで汚されるという事件が起きた。「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑に刻まれた言葉は、福島における三度目の核被害を経てただ空しく響くばかりだ。日本は戦後、その被害者意識から抜け出すことができなかった。本当の犠牲者、私たちが踏みつけていた人たちの痛みに気づき、他国の被爆者慰霊碑を心の中心に置くことができたとき、私たちは明るい未来を築く道を歩みだすことができるのではないか。
アメリカの懐の広さ、と先に触れたが、アメリカは過去の奴隷制度に対して、数百年を経てなお政府が謝罪した。そんな懐の広さを示し、痛みから前へと前進して行く国々の例をここに来て学んでいる。過去を忘れるのではなく、真実を語ることこそが真の和解へ導くという信念のもとに南アフリカを新しい歴史へと開いたプロテスタントのツツ大司教の「真実と和解委員会」、また第二次大戦後のドイツなど、過去に向き合い、負の連鎖から抜け出した例は希望を与えてくれる。平和の使徒と呼ばれた故教皇ヨハネ•パウロ二世は公に教会が歴史において犯してしまった数々の過ちを謝罪した。紀元2000年を前に過去を悔い改め、新たなる者として歩み直すようにと呼びかけた。「記憶の浄化」という言葉が使われている。傷を負わせてしまった隣国の人々の傷の記憶を癒すことで、自らが新たな者とされて行く。日本はそのような努力をしているのだろうか。
ヨハネパウロ二世を動かした原動力はイエス•キリストの体に刻まれた傷であったろうと推察する。全人類の傷をそのうちに包み込むイエスの十字架の傷。この傷に照らされた弟子たちは全人類を癒す使徒となった。自らの傷が他者の傷を癒すという逆説はキリスト教の核心である。
私はこの傷を日本国憲法のうちに見る。多くの友を特攻隊で失った憲法研究者の故作間忠雄氏は、先の戦争が侵略戦争ならば兵士の死は犬死にであるかという議論に対し、「彼らは日本国憲法に化身して平和日本の礎となったと私は確信している」と述べたという(天声人語2013/4/29)。他者を傷つけ、自らも負ってしまった傷を、他国を癒すための傷へと変容させて行く道が憲法のうちに示されているのではないか。この平和への思いを実践し、紡いで行くことは、労働教育センターの、そして自分自身の使命であると強く感じている。
中井 淳