2013年4月2日火曜日

アメリカ通信ー2 ボストンから

林館長、センターの皆さん、こんにちは。
ボストンの中井です。主の復活おめでとうございます。
ボストンに来て3ヶ月が経とうとしています。
少しずつアメリカ社会のことや、自分の学ぶべきことなどの輪郭がはっきりしてきました。
聖金曜日は、南ボストンで行われたある教会の十字架の道行きに参加しました。
ボストンは中心街はきれいなのですが、南の方に行くと移民の人たちが住んでいる地域に入り、一気に雰囲気が変わります。
2時間かけて教会の周りの痛みのある場所を巡り祈りました。7つの地点で
立ち止まり、その場所についての説明の後にみんなで祈りました。
子供がピストルで撃たれた場所、ミシシッピーのハリケーンで家を失った人が
施設に入れてもらい生活を取り戻せたというナーシングホームなどです。
アメリカで今最も深刻な問題の一つは移民、外国人労働者の問題です。土曜日はやはり南ボストンのスペイン語のミサに出たのですが、参加者はすべて移民の家庭で英語を話さない人たちがほとんどでした。外国人労働者に対してより人間的な対応をすることを政府に求めるグループが沢山あり、社会的な意識を持っている人たちが多く、学ばされます。
国家の安全保障と移民、外国人労働者の受け入れが対立する中で、国家統治権、国境を越えた人権促進へ取り組むことこそ、アメリカの明るい未来へとつながっていくのだという彼らの主張には納得させられます。
私自身の関心は、やはり国家がどのように過去の過ちに向き合い、隣国と新しい未来を築いていくのかということにあります。そのような関心を深めていきたいと本を探していると、興味深い本に出会います。The Age of Apology-Facing Up to the Past『謝罪の時代、過去と向き合う』という本は我が意を得たりという思いがしました。20名の学者の論文を集めたものなのですが、その中には、慰安婦問題と向き合わない日本の歴史認識の問題についても述べられています。またローマ法王がカトリックが反ユダヤ主義に加担してしまった歴史を謝罪したことの意義などについても論じられています。序文では、「社会が過去から引きずっている悪を振り払わないかぎり、その社会はまともに未来へ向かっていくことはできないというのは普遍的な認識のように思える」とあります。政治学、社会学の中でもこのような認識は一般的になっており、アメリカ政府が奴隷制度に対して謝罪したこと、オーストラリア政府が原住民にたいして行った差別的行為について謝罪したことなど、世代間を越えた国家、国民の謝罪、責任といったことがとりあげられており、そのような流れの中で、まさに日本は逆行している、明るい未来に背を向けているということを感じさせられます。政治学の中では、宗教が果たす役割の重要性についての認識が高まっており、下関労働教育センターの社会における意義ということについても私は思いを新たに深めています。この方向で勉強をすることが自分の使命につながるのではと感じている今日この頃です。
日本語で文章を書くことから離れているととんでもなくひどい文章になりますね。時間もかかります。自分の頭の不器用さに涙ですが、とにかく今回はそのようなところで。またこの方向性で深まったことをお伝えできたらと思います。どうぞみなさんお元気で。